雨に打たれた百日紅はいただけない
先日メキシコ湾から上陸したハリケーンの名残の低気圧が当地までやってきて、夏のものではない雨を降らせた。
雨に打たれている百日紅というのはしかし風情がなく見窄らしいものだ。やられっぱなしでちっとも覇気が感じられない。他方、呆れるほどの暑さの昼間の晴天の下では、得たりとばかりに端まで花を開いてなお涼しげでさえあるのに、なんというていたらくだろうか。(個人の感想です)
在るべき姿の百日紅。
午後、オンラインでアメリカの年金と日本の年金の話、みたいなレクチャーを視聴する。
長い話を短くすると、なるべく長く働いて年金受給を遅らせるというような話だった。さいですか。
いや私は癌の手術を受けたばかりだし、なんなら3ヶ月くらいで再発とか転移が見つかったりして、余命数年なんて事になるかも知れず、長生きなんぞ全くする気がしない。元気ならばそれは70歳まででも働くのも良いんでしょうけれど、そんな未来はさっぱり見えない。なんだ日本の年金もアメリカでずっと払ってきたソーシャルセキュリティも払い損かよと思ったらなんだかだんだん腹が立ってきた。
まーそーんなことはなくて、社会保障というのは相互扶助だから、私が受け取らなかった年金やソーシャルセキュリティは、回り回って誰かの助けにはなるんだけれども。
とまれ、また今週も元気でテキトーに働きたい。テキトーは大事。