母の日か
今日は取り止めのないことを書く。気がする。
子供の頃から、〇〇の日、〇〇デー、というイヴェントは胡散臭いと思っていたので、大概無視して生きてきた。私は正しいと思う。
アメリカに暮らして長いけれど、彼らの大仰な家族大事大事アッピールの胡散臭さといったら無い。普段何もしてないみたいぢゃないか。そして半数以上離婚するわけだ。
「やってる感」が大事なのは何処の文化でも一緒か。
母の日も知ったこっちゃない。いつだって思っている。この日だけ特別に何かする理由はない。学校で何か書かされたり描かされたりするのが堪らなく偽善的で嫌だったのをいつも思い出す。
やりたい人だけやればよい。
それはさておき。
老母は日本で弟と暮らしている。
昭和20年1945年の生まれなので76歳になる。私が52歳なので、けっこう若い時の子供だ。まー昔はそんなもんだったのだろうけれど、兄は21歳の時の子供ということになる。同世代の人々の母親と比べるとやはり少しだけ若い。少しだけ。
毎年特別なことは何もしないけれど、今年は新コロナやアレやコレやで帰国出来そうにないし、弟宛に、コロナと地震に気をつけて達者で暮らして欲しいとメールをうった。小遣いの少しでも送金しようと口座を聞くのだけれど、そんなものは要らんと頑として教えてくれない。配偶者が居るのだからその面倒をみろという。年金だけが収入源のはずで、田舎とはいえ、それなりに生活費はかかるだろうに。ナイスガッツだ。
しかし弟に聞くと、この田舎での新コロナワクチンの接種は9月頃になるそうだ。ワクチンというのは一気呵成に集団接種するから意味があるのであって、散発的にやっては効果が薄い。何というダメさだろう。
けれど近くに兄が暮らしているし、弟が同居しているし、今のところ医者通いはあるにしても、ボケてもいないようだし介護はおろかパチンコ屋に出掛けるくらいは元気なので、あまり心配はしなくて良いのが有難い。これは本当に有難い。
下手したら私のほうのお迎えが早いんじゃないかと思うくらいだ。縁起でもないけれど、現実的な想像でもある。
そういう「逆縁」はやっぱり親不孝だと思うので、何としても避けたいところだけれど、人には天寿というのものがあるので、自分でコントロール出来るものでもないと思っている。
死んだ親父が迎えに来るのならばそれもよし。あの世で2人でゆっくり飲むのも一興だし。
やっぱり取り止めの無い話しになってしまった。
黄色〜オレンジがかった「ツツジ」は珍しいと思う。調べると「Flame azalea 」といって、やっぱりツツジみたいなのだけれど、日本にも在るんだろうか?
家人は今夜、日本に居る彼女の母と初LINEで動画会話を試みるらしい。お姉さんのスマホで。
良い時代になったじゃないか。