断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

毎日の弁当作りには月$3,000くらいの価値がある。かもしれない知らんけど。

家人がもう疲れたと言って仕事を辞めたのが去年の春のことだった。口数が減ったし不眠や強い肩凝りを訴えていたから、抑うつ状態にあったのだろう。心や身体を壊してまで働く理由など無いわけで、辞めたいと思ったのなら辞めるべきと背中を押した。グイグイ押した。家人が仕事を辞めても、私の稼ぎで食べていくらいは何とかなるだろうという計算が立っていたし。

同時に。私は週5日分の家人の弁当作りと、車を運転しない彼女の勤め先へのもしくは最寄駅への可能な限りの送迎をしなくてよくなった。

弁当といっても、たいしたものではない。外食や出前の食事が酷い(高くてまずい)この界隈では、真っ当な食事をしようと思ったら弁当しかない。…のおかずは、卵焼きやきんぴらごぼうに鮭の焼いたものや鮪の煮付け、冷食のシュウマイやカマボコ、彩り用の野菜やフルーツなど、要は週に1、2度の仕込みで回せるものだ。毎回同じようなものだったけれど、これを週5日朝の出勤に間に合うように用意するのはそれなりに大義な作業だった。週に1度は、朝5時起きで玄米を炊いて、味噌汁を作り卵焼きを焼いた。それはそれで炊き立ての玄米の美味さや香り立つ味噌汁の美味さの楽しみはあったけれども、思い返せば我ながら偉いと思う。

世帯収入は半額以下に減った(家人のほうが収入が良かった)けれど、納税額(と納めるソーシャルセキュリティと呼ばれる年金)が減っただけで、うちは子供がいるわけで無し、家賃並みの住宅ローンがあるだけで、贅沢もせずに(できないけど)暮らしてきた。最近は私の癌治療とコロナ禍で、出掛けるどころでは無くて、幸か不幸か支出も減ったけれど。

毎日の食事は、相変わらず私が適当なものを作るけれど、弁当が無いというのはとても楽だ。本当に楽だ。自分だけの弁当ならば、冷凍しておいたご飯にサバ缶とか、カップ麺とかプロテイン飲料とか、私はまったくもって適当なもので良い。家にいる家人の食事とて、適当なものをおいておけば良い。野菜スープを作ってサンドイッチの具を置いておくとか。芋を焼いておくとか。冷凍のご飯を温めて何か食べて置きよし。みたいな。

他方、勤めていた時分、家人にとっては、職場ではマイノリティの女性(日本人です)で緊張を強いられるわけで、弁当というのは職場での唯一の息抜きと楽しみだろうから、真っ当で美味くて痛みにくい食材を相応に弁当箱に詰めてまぁお気張りやすという気持ちで持たせてきたつもりだ。けれど、この作業は、やっぱり労力の要るものなのだった。解放されてよく分かった。

そのノー弁当詰めライフを暫くエンジョイしていたのだが、家人が少し働くと言い出した。からさぁ大変。マヂか。採用されればまた弁当作りが始まるのか…そうか…しかし働けばフルタイムで働くとすれば、以前の勤めの収入には及ばずとも、月に$3,000くらいの収入にはなるだろう。家計的には良い事だ。私の弁当詰めと送迎の労力と引き換えに。

というわけで、毎日の弁当には月$3,000くらいの価値があるのだ。と極私的に思いたい。おおお、これは凄いな。知らんけど。

12年間使ったパソコンがボロボロなので、新しいパソコンが欲しいな。

とまぁ、お金はさして問題ではない。大事なものだけど。大事なことは、家人が働きに出るということは、私が独りになれる時間が出来るということだ。これはいいぞ。夫婦決して不仲なわけではない。諍いも無い。家人は在宅で独りの時間があろうけれど、私には無い。これは地味に辛いのだ。独りの時間が出来るかもしれない。プライスレス。

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