断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

Discharge 退院の日 髭と鼻毛は2週間で合流する

朝6時過ぎ、いつものように回診が来る。偉そうな医者によれば「保険関係の問題以外」私を入院させておく理由がもう無いと言う。昨日のエントリにも書いた退院後の訪問看護のことだろう。保険会社め。

執刀主治医がくる。手術で癌は全て取り除いたし、患部間際のリンパ節に0.2ミリの大きさの転移も取り除いた。術前に放射線&化学療法を施したのはとても良い判断だった。Now you are cancer free だ。と言われる。キャンサーフリー。術前のPET/CTスキャンやコントラストCTスキャンでは、リンパ節への転移は認められないという検査結果であったから、執刀主治医の見立ては正しかったということになる。暫くは癌のことは忘れて、消化機能の回復に専念することが出来るということだ。

この胃瘻tube feedingはどれだけ続くのかと執刀主治医に訊いてみたら、口から取れるカロリーが1800Kcalになるまでだと言う。まぁそうだろうけど。今は「飲み込み・発音専門家」みたいな医者に、トロミを付けた液体しか摂取するなと言い渡されている。ヨーグルトやプリンやマッシュトポテトなどが思い浮かぶ。それから我が祖国日本の誇る絶対エース療養食「お粥」もあるではないか。これわりと楽勝じゃないか?とも思うのだが、何せさっぱり食欲が無いのと、半分に切られた胃のさらに一部が食道の代用に永久出向しているので、胃のキャパが今ひとつわからない。ザックリ1/3くらいじゃなかろうか、とも思う。若くて元気だった頃は牛丼並3人前はイケたはずだから、いま1/3になってもしかして丁度いいわけがない。並3人前だってかなり頑張って食べ切ったはずた。と言うことは今はかなり頑張って1人前という計算になる。ともあれ、執刀主治医は、胃瘻以外で摂取したカロリーを毎日記録して時々知らせろと言う。それに応じて胃瘻での栄養摂取を減らしていき、最終的にはカットするという。がぜんやる気が出てきた。そうか。食用油なら100mlあたり900Kcalちかくある筈だから、こいつを200mlゴクゴク飲めば目標は達成できるのではないか、などと何処ぞの国の食料庁の食物自給率の怪しげな数字をボンヤリ思い浮かべてみたりする。

“Discharge team"(直訳すれば「退院チーム」)の隊長みたいなのが来て、分厚いプリントを渡される。緊急連絡先から薬、胃瘻tube feedingの摂取レート、10パウンド(4.54kg)以上の物は持ち上げるな、オキシコドンを服用したら車は運転するな、2週間後のフォローアップ健診の前にX線を撮って来い…などなど。なんだ全部分かりやすく書いてあるじゃないか。はいまた読んでおくからと言ったら、口頭で説明させろと書いてあることを読み出す。なぜだ。

世の中には文字では殆ど情報が頭に入っていかず、話を聞かないとサッパリ分からないという人もいるからなぁそういえば、と職場のひとを思い出した。文盲では無い。けれどディスレクシアという障害の一種だ。

改めてプリントを読むと、今日は帰宅してからシャワーも浴びられる。これは嬉しい14日ぶりとなる。胃瘻の部分はしかしどう保護するのか後で聞こう、入院前に剃ったきりの髭も伸び放題でこれも伸びてきた鼻毛と合流した。髭と鼻毛は放置すると2週間で合流する。

11時。そろそろ解放されてもいいような気がするのだが、誰も病室に来ない。看護助手が来て、左の手の甲と腕に1箇所ずつ確保してあった静脈注射用の留置針を抜きにくる。最初は右手の甲のもあったけれど、1週間で液漏れするようになって抜かれた。心電図の電極も外された。これはずっと着いていたので、痒くて嫌だった。入院する時に履いてきたパンツを履く。なに?少しきつい。2週間ほぼ飲まず食わず点滴と胃瘻だけで太るというわけか。シャツを着て靴を履く。(帰宅して体重を測ったら実際には3キロ痩せていた。腹回りには浮腫がある感じがする。)

家人と職場の人が来たというので、看護助手のひとに車椅子で病院の出入り口まで乗せていってもらう。2週間ぶりの外気だ。晴れて風があって気持ちがいい。さらばJohn Hopkins University Hospital とはいえまた2週間後の検診で来るけれども。

帰る道すがらは、道路のデコボコが地味に傷に堪えた。途中渋滞があったので、1時間半ほどで帰宅。少し横になるも、薬が切れてきた感じであちこち痛み出したので、ちょっと気合を入れて、家に届いていた胃瘻tube feedingのポンプのセッティングをして、胃瘻から砕いた薬を注入する。程なくして落ち着いた。家はいい。

少しうとうとしていると、home nursingのスケジューリングの電話。もう喋りたくなかったので、家人に対応を頼む。助かる。こんどは「嚥下 / speeking」スペシャリストから電話。2週間後に飲み込みテストに来いという。それ何故退院前日にでも言えないものか。しかしこの人のサインがないと食事制限が解かれず、より長く胃瘻tube feeding に繋がれることになるので無い大人しく言うことを聞く。ぐったりと疲れてまた少し寝る。

ああ家人の晩めしがあったか。缶のスープでも食べると言っていたが、そんな寂しいものを食べさせるわけにもいくまい。冷蔵庫の中身を探して、親子丼、ジャガイモとワカメの味噌汁、大豆の水煮とちりめんジャコの山椒炒りを作った。退院当日に自分のじゃなくて家人の食事を誂えるオレはちょっと偉いぞ、と思った。野菜が少し欲しかったけれど、買い物に行っていないので無いから仕方ない。それから自分用にお粥を炊く。1合のお米を土鍋で五倍の水にして火にかけた。全く食欲がないので今日食べるかどうかは分からない。

今夜は2週間ぶりにシャワーを浴びてゆっくり寝よう。寝られるかどうか分からないけれど。