100日後に死ぬワニ
できることなら花の季節に死ぬものじゃないなと思った。
美しい季節に、残ったひとたちにつまらないことを思い出させたくない。いやまぁ、季節はいつでも美しいけれど。
死はいつか、時として突然くるものだし、本人を含めて誰もが受け入れられる理由や時期であることは難しい。
「100日後に死ぬワニ」は嫌なタイトルだなと思った。
あの話が始まった12月の半ばに、私は食道癌の宣告を受けた。余命宣告をうけたような気になり(実際そうではなかったが)、じぶんの「死」がはっきりと現実にやってくる事として認識せざるを得ない状況になった直後のことだった。
わりと神妙な気持ちで、「死」という言葉を意識しないようにしながら、言われるまま医者に通い始め、沢山の検査をし、部屋の片付けと身辺整理を始め、食道癌について調べだし、家事をしながら仕事をしながら普通の生活をしててきた。これまでの人生や、これからの生活の事を考えながら。
考えながら、はたして私は死を恐れている悔いのある人生だっただろうか?という疑問にいきつく。
考えれば考えるほど、意外とそうでもないことに気付く。神妙でいる理由もない。
ワニはゲーマーを目指す。
51年生きてきて、思い通りにならないことのほうが多い人生だったけれど、やりたいことは出来る限りやった。気の合う人もそうでない人も居た。幸い飢えや寒さで死を意識したこともない。あっ、死ぬかもしれない、と思った事は3回ある。手短に言うとさほど人生に不満がない。無い。
行きたいところはまだいくつかあるけれど、もはやどうしても行っておきたい土地はない。たぶん来年行く。
ワニはついに彼女をデートに誘う。
私が手術で食道と胃を切ってしまったら、ラーメソ二郎は無理だろう。一度は食べてみたかったけれど。あと食べてみたいものはフグくらいだ。来年食べる。
「人が死の前に語った後悔」のような話がある。
曰く、「働きすぎなければよかった」、「思い切って挑戦すればよかった」、「もっと勉強すればよかった」、「やりたいことをやればよかった」など。
幸いにして働きすぎるほど忙しい仕事ではない。出来る挑戦はだいたいやった。失敗ばかりだったけれど。勉強は40歳の手前から10年近く吐くほどやった。ぜんぶやった。
「もう少し健康に気を付ければよかった」
今やってる。
100日が経った。ワニは友達たちと彼女との花見の日にとつぜん事故死してしまう。
そいうこともある。
ワニが幸せだったかどうかは分からない。けれど少なくても、やりたいこと --- ゲーマーを目指してついに彼女に告白して、出来ること --- 日常を楽しんで食べたいラーメンを仲間と食べ、ヒヨコを助けて---をしてきた人生、もといワニ生だったように読める。
そして美しい花の季節に、仲間に思いだしてもらえる。
最高ではないか。
わたくしはそんな季節に死ぬのは皆に申し訳ないので避けたいと思うけれど。
願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ 西行法師