断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

癌の人びと。自分込みで。

先日は柔道の古賀稔彦氏の死去。癌で闘病中だったというニュース。サンドイッチマンの伊達氏の膀胱癌の手術のニュース。今日は桑野信義(クワマン)氏の大腸癌の手術の記事を見た。

日本人の死因の1/3は癌で、おおよそ1/2のひとは、生涯に一度は癌に罹るという統計もあるので、珍しいことでは無いのだろうし、有名人だからニュースになるだけで、自分も含めて名もない市井の人間などは、数知れず毎日癌に罹り宣告され手術や治療をしている。

ああ、あの人もか。とショックでもあるし、ご同慶の至り…は喜ばしいことに使うやつか、ええと、亡くなってしまったかたには届かないけれども、まーボチボチいきましょうよ、と勝手にシンパシーを感じたりしている。

ボチボチいきましょうや。

運だ。

遺伝性のものも有れば、ワクチンで防げる癌もあるけれど、こんな生活をしていたからだとか、不健康や不摂生な生活をしていたから癌になった、と考えがちだけれど、実際のところは分からない。考えたところで時間は戻らないわけで、そういう運だったと受け入れることにしている。時間は前にしか進まない。過去を悔いても仕方がない。

それよりもこの先にある時間を生きる事を考えた方がいい。

人は生まれたら死に向かって生きて、いろんな最期がある。死んだ親父のように、病気でジワジワと弱って死んでいくのもあれば、事故や事件や、病気での突然死や自死もあるわけで、どれが良いとか悪いとかという話ではないけれど、個人的には、癌を宣告されて、死と自分の身の回りのことをじっくりと考える時間を持てた、持てているのは有り難いと思う。お陰で随分身の回りの整理が出来ているし、要るもの要らないものがハッキリ分かった。物に執着しなくなった。棺桶に持ち込めるものはたぶん「想い」だけだし。

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桜の影であまり話題にならない椿も春の花だ。

花ごと「落ちる」ので、あまり縁起の良い花としては扱われないようだけど。

椿の花は「落ちる」。

桜の花は「散る」。

梅の花は「こぼれる」。

菊の花は「舞う」。

と、それぞれ言うらしい。マツコの知らない世界で言ってた。なるほど。それぞれに風情がある。

これを全て英訳出来るのか!と問い詰めたい。知らんけど。