3/11 東日本大震災のことを少しだけ
もう9年が経ちますか。
宮城県沿岸部の出身なので、思うところはある。
けれどもあの日、私はあの場にいなかった。日本にさえいなかった。
5年ちかく前に、地元の中学の同窓会の誘いがきた。
アメリカにはお盆休みの慣習は無く、休みが取れない、と欠席を知らせた。
あの震災について、共有する経験が無いので話すことがない、というのが本音のところだった。
無いことは無い。
日本の両親と兄弟や親戚の無事を確認できたのは、4、5日も経ってからだった。給水車が来る小学校の校庭まで、自転車で何往復も水を確保しに走ったのは弟だった。
自らも被災者であるのに、生まれたばかりの子供を停電断水した家に残して、救助捜索活動に出動し続けた、官職の知り合いも居る。
家が潰れたひとは町を出ていき帰らない。見知らぬ人々がようやく住める場所を見つけて移住してくる。だれも隣人のことを知らない。過度に過疎高齢化が進んだ近未来の東京のような故郷。
思えば。
黙って同級生や先生の話しを聴くことくらい出来ていれば、まだ「当事者」としての末席くらいには置いてもらえたかも知れない。
どうにも今は、薄い強い壁が向こう側とのあいだにある。
サバイバーズ・ギルトという感覚にも少し似て。
大きな災害は、こういう角度でも、人と人の関係を難しくしていく。
職場のひとの、お嬢さんが、きょう誕生日(5歳)だという。盛大にお祝いしてもらいたい。