尊厳死・哲学の欠如
こんな記事をみつけた。
作家の倉本聰氏が、彼の友人が末期の肺癌で苦しみながら亡くなった事について書かれている。
自分もステージIVの癌患者であるし、どう死を迎えたいのか、という希望はあるけれど、果たしてそのとおりになるかどうか、は時折考える。
近代の医療は目覚ましい進歩があり、確かに人は救われ、簡単には死ななくなった。
他方、治る見込みがなく、苦しみながら、或いは寝たきりで意識もないままの患者の延命措置をし続けることが、医療倫理として正しいことなのか、楽にしてやれる医療技術があるのに、これを行わないのは、人の尊厳を考えない哲学の欠如ではないかと氏は指摘する。
「尊厳死」にかんして、クリスチャンは宗教的な思想や倫理観の議論がわりと出来ている感はある。
ここアメリカでは、医者に行けば薬はどんどんくれるし、死を待つ人にはホスピスも沢山ある。
安楽死はさすがに認められていないけれど、緩和ケアは、「苦しませない」という視点から、医療用大麻が殆どの州で合法である事からも、日本よりは進んでいる印象がある。
日本ではその議論を避けてきたので「哲学がない」と、倉本氏は言うのだ。
これには同意する。
ひとは何れ死を迎える。
その死に方を選べるのであれば、誰もが尊厳をもって、死を迎えたいと思うのではないだろうか。
何だか日本に帰るのが怖くなってきた。アメリカでは死にたくないと思っているけれど、日本では苦しまずに死なせてくれなさそうな気がしてきたからだ。
せめて「日本尊厳死協会」にはぜひ入会しておきたい。倉本氏の書くように思い通りにはならないかもしれないけれども、自分の意思表示として。
なんか載せる写真が思い当たらないので、昨日作ったきんぴらゴボウ。
沢山作ると冷凍も出来るので便利。
飽きたらマヨで和えると、美味いごぼうサラダになるよ。