目の前でリスが轢かれた
車を運転していたら、前の車の後輪にリスが轢かれるのを見てしまった。
道の反対側から跳ねるように走って来たリスが、パタリとひっくり返って動かない。気絶したのか死んだのかまではわからない。後続の車もあったし止まるわけにもいかず走り去ってしまったけれど。というか、リスは下手に触ってはいけない。噛まれたら狂犬病やそのほかの感染リスクがある。ダニだってノミだって居る。世界は見た目ほど綺麗ではない。
それはさておき。
この辺にはリスが沢山いて、車に轢かれているのはあまり珍しい光景ではない。けれど見かけるのは決して気分の良いものではない。轢かれたばかりのリスは、まだ尻尾の毛がふわふわとしている。
一寸前までは元気に動き回っていたであろうリスが、もう動かない。無常なものだ。
人の世もでも、不慮の事故に遭って亡くなってしまう人は、一寸先に自分がそんな目にあうとは思いもせずに、突然人生を終えてしまうわけで、本人や周りの人々も、どうにも受け入れ難いものがあると思う。
他方、病気で死ぬ方が、少しでも時間があるぶんマシなのかなと思う。身体の自由が効かなくなっていくのは辛いことだと思うけれど。
だから昔から「ピンピンコロリ」なんて言うのだろうけれど。
人は老衰を含む病気か、事故か他殺か自死かでいづれ死を迎えるわけで、そんなに早死にしたくはないけれど、老いて生きながらえるのもまた苦行だろうし、自分としては適当なところであまり苦しまず人生を終えるのがやはり理想のように思う。
その適当なところが難しいわけだけれど。
年寄りが温泉に浸かり亡くなったとか、夜普通に床に着いた朝に亡くなっていたとかいう話も聞く。其れ等は理想の死にかたなのかも知れない。温泉には少し迷惑かも知れないけれど。(温泉での「事故死」はわりとあるようで、血圧だのヒートショックだの脳疾患などの理由付けが出来そうだけれど。)
自分の転移癌の病状も、今は抗癌剤が効いていて普通に生活出来ているけれど、今後どうなるかは分からない。このまま低空飛行で暫く生き長らえるのか、ある時点で抗癌剤が効かなくなり、或いは副作用が酷くなり、病状が急に悪化する可能性もあるだろうし。明日は大丈夫かも知れないけれど、来週はわからない。そうこうしているうちに、不慮の事故に遭わないとも限らない。
銃社会のこのアメリカで、流れ弾に当たって死なないとも限らない。(これは本当にいつも心の片隅に思っている。)
不良警察官に絡まれたり、ヘイトクライムで命を落とすこともあり得る。
…などということを、動かないリスを避けて車を走らせて、通り過ぎても暫く考えていた。
南無阿弥陀仏。
Bleeding Hearts.
日本名は何て言うんだろう?