断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

某内閣自民党合同葬儀で思ったこと

葬式というものは、生きている人間の都合でやるものだなと。

10月18日は親父の命日だった。

たいそうな内閣自民党合同葬儀があったようだけれど偶然だ。

生前に墓の話は少ししたけれど、葬儀の話は真面目にはしたことがなかったと思う。生前父親は冗談交じりに「骨はその辺の海にでもブチ撒けてくれたらいい。」と事あるごとに言っていたからである。いやそれはお墓のことか。葬式についてはどう思っていたのかは分からない。

「私生児」(嫌な表現だけれども)であった父には、先祖や親族を偲ぶ墓が無い。もとより偲ぶ気があったかどうかも分からない。正確に言えば墓は有る、はず。異父弟のもとに身を寄せて過ごしていた祖母(父の実の母)が亡くなっていればその墓。生きていれば100歳を超えているはずだ、というほどに異父弟とは折り合いが良くなく、晩年は音信不通だった。祖母(父の実の母)が存命であったとしても、孤児院に預けられる前に預けられていた祖母の実家筋のお墓が有るはずなのだ。私が子供のころに一度連れていかれたことがある。県境の山が迫る河の近くだったくらいにしか記憶がない。勘に頼って土地の名前を調べてみると、それらしい場所がある。今は東北新幹線がビューンと通過する町だ。父の出自を知ろうと思えば、この町に手がかりがあろうけれど、先祖だとか家系だとか、私は興味がない。父親を「私生児」たらしめたのがまさに家制度での当事者たちの「立場」だろう。これは人を幸福にしない。うんこ召し上がれである。いや失敬。

それはさておき。

葬儀。

父親が死ぬ1か月前、もう長くはないと聞いて一時帰国した。(コロナのご時世でなくてよかった。) 親父が死んだら喪主となるであろう母親は、すでにプランがあったようだった。母親の意に沿うようにすればいいと思ったし、弟も特に意見はないようだった。買い物だったか、親父の見舞いの帰りだったか、町中の「◯◯メモリアルホール」とかなんとか、葬儀場の横を通りかかった時に「ここでやるから。」と母親が言った。どうやら見積もりも下見も済ませていたようだった。狭い家に遺体を家に持ってくる事をせずに、こういう場所に病院から直接運んで通夜と葬式をして、翌日火葬場にいくという。実際そうなった。

葬式には限られた親族しか呼ばなかった。父親の望みはどうだったは分からない。喪主である母親の意向だ。母親も10代で両親を亡くしている人なので、死や葬儀に関しては何やら思いがあるのかも知れない。端的に言えば、葬儀に呼ばないというのは、故人に関わりのあった人達と、金輪際付き合わないという意思表示であろう。

そう。葬儀というのは生き残った人の都合と意思で執り行われるものなのだ。

生きてる人間の色んなものが見えてくるではないか。葬儀を派手にやって大勢を呼ぶというのはそういうことだ。参列した人々の顔色や弔辞が全てを語っているように見えた。自民党政府合同葬儀。他方、警察や自衛隊の現場の人々的には特別手当てがついたりして良いのかも知れないし、大規模イベント警備や要人警護の訓練も定期的にやっておかなければいざという時に動けない、なんて側面もあるのだろう。たぶん。知らんけど。

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