断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

アシナガバチと戒名

朝はきのう焼いたパンをオーブンで温めてムシャムシャと食べた。風味良くふわりと焼けている。たぶん生地にバターを練りこんでいるからだ。あと蜂蜜か。贅沢なパンだ。というか、材料だけで出来上がりが大きく違う産物というのは、技術介入も余地が小さいわけで、近代のテクノロジー様全盛の世界では、なかなか厳しく寂しい話しではある。

家人が日本とSkypeで仕事だというので、画面に映り込んだり物音を立てないように身を施す。日本の夜9時はこちらの朝8時で、どちらにとっても微妙に難しい時間のような気がする。何かどうしてもリアルタイムで会話する用事があるのだろう。知らんけど。

仕事に出掛ける。朝9時で気温25°湿度57%。きょうは35°Cまで暑くなるとの予報。この土地には夏と冬しかない。20年も住んでもう慣れた。

仕事をしていると、一匹のアシナガバチがどこからともなく入ってきて天井付近を行ったり来たりしている。暫く放っておいたけれども出ていかない。ネットで暫くアシナガバチについて学習したあと、部屋の明かりを消して窓を全て開けたら外に出て行った。何処か近くに巣があるのかも知れない。アシナガバチは、スズメバチの仲間で、刺されたら死ぬこともあるそうで、わりとヤバいやつかも知れない。夏は短い。あんじょうお気張りやす。

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友人の母親が亡くなったという。危篤だという知らせを受けて日本に帰るかどうか、空路で外国から日本へ入国する場合、検疫は成田と羽田で受けるしか無いらしく、隔離待機場所として関西に実家のある友人は、公共交通機関は使えないので、レンタカーで移動するしか手段が無いと言う。東京近郊に住む友人に迎えに来てもらうにしてもたいへんな話だ。そうか今日本には迂闊に帰れないのか。などと昨日LINEでやりとりした矢先だった。

親の死目とか葬式とか墓とか、伯母に「薄情」だと言われたほど、極私的にはどうでもよいとしか思っておらず、あれらの一連の儀式は、決して故人の為ではなく、残った人々の体裁と家制度のアップデートと、きっちりやったからな、と自己満足を得る区切りの作業であると思っている。それぞれ気の済むようにやればいいと思うけれど、葬式や墓となると「家または家族」という単位が絡んでくるので、まず揉める。故人との関係や思いはそれぞれあるわけで、これは大概「家または家族」の共通認識とは相反する。物理的に人がこの世から去って仕舞えば、あとは精神世界の話でしかない。念や想い、だけがほんとうのことだ。親父が死んだとき、「無宗教で」と言っていた母親が何か拠り所が欲しかったのだろう、仏壇と位牌は欲しいと言い出した。よしそれならと、私が尤もらしい「戒名」を捏造して、兄弟にはウケたのだが、くだんの叔母が、ナントカ宗ではそんな戒名は無いなどと煩いことを言い出し、ふざけるなと止められたことを思い出した。ワタシはキッチリやってます狂もとい教というのも扱いが難しい。あれだ。子供に持たせる「キャラ弁」と全く同じ心理だ。自己満足だ。知らんけど。

私のアメリカンネームは"Don"と友人が付けてくれたものだけれど、アメリカ人にふざけてると言われたことは無いぞ。ヒスパニックには少し引かれる。なぜならあちらの言語世界では、“Don" は 聖職者の敬称だからだ。ちょっと前に世間を賑わせた「紀州のドン・ファン」の「ドン」である。白人でさえない素生の分からないアジア人を敬称を付けて呼ぶのは抵抗があるのだろう。知らんけど。もうアメリカの会社では働いていないし、そこにいたヒスパニックとの付き合いも無くなり"Don"と呼ばれることもなくなった。あー戒名はDonにするかな。自分が死んだら墓も位牌も無いと思うけど。

そういえば戒名といえば「差別戒名」などというものも存在したようで、死んでまでも差別を受けるのも堪らん話だな、と人間の業の深さを思うなど。

午後、手術前72時間以内にSARS-CoV-2の検査を受けろという医者の話しを思い出す。えそれは医療事務方が何かアレンジしてここに行けとか知らせが来るものと思ってたけれど一向に連絡がない。メールしてみるとどうやら失念してたっぽい感じで直ぐに返事があり、コロナ特別対応セクションみたいなところから電話が来る。曰く、週明けに近くの病院の前の検査テントに行けとのこと。おおお私も遂にSARS-CoV-2の抗体検査を受けるのか。極私的にはすでに罹患していて抗体は持ってるような気はする。知らんけど。しかしこの検査をしていないともしかして予定の手術もうけられなかったかもしれないわけで、医療事務のいい加減さに呆れる。驚きはしないけれど。つくづくアメリカという国は、何でも自分で確認しないといけないところだよなぁと思った。