断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

Fourth of July 卵かけご飯

きょうはFourth of July. アメリカの誕生日だ。

手術後24日目、自宅療養11日目。

ひょんなことから30歳を過ぎてからアメリカに渡ったあと、働きながらコミュニティカレッジを経て4年制大学まで行ってしまったけれど、英語のクラス(ESL)でも独立戦争のエピソードを織り込んでくるし、必修科目のアメリカ史のクラスでも「我々はこうして自由と独立を勝ち取ったのだ」とかアメリカのイデオロギーをグイグイと押し付けてくるのでウンザリしたのを思い出す。太平洋戦争末期の日本への原爆投下のくだりなどは、後期アメリカ史(南北戦争以降)の分厚い教科書に半ページ程度の記載で、「戦争を早期に終結させて多くの軍人と市民の命を救った」みたいなことがサラリと書いてあるに過ぎない。そして多くのアメリカ人はそう信じている。ま、歴史(History)などというものは、誰かが妄想たっぷりに書く「his story」であると誰かが言っていたが、その通りである。日本にもたくさんの歴史捏造本が溢れているというではないか。やっぱり気持ちいいんですかね。都合の良いことばかり書いてあると。

それはさておき。

Happy Birthday America. 何歳か知らんけど。1776年に独立宣言をしているので244歳でした。たぶん。

 

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(昔はこんなケーキを作ってたような気がする。)

今日も暑くなるとの予報なので、朝簡単にヨーグルトを食べたあと、少しお腹を落ち着かせて散歩に出た。9時半で29°Cもあったけれど、日がまだ登りきっておらず日陰が多いのと、湿度が低めで風が少しあったので、まずまず歩けた。5,600歩。

帰宅してシャワーを浴びて落ち着いた。サボらずリハビリした。今日も勝負あった。

昼食は麦飯を炊いた。昨日ふとオムラオスが食べたくなり、ならばご飯を炊いてチキンライスが要るだろうということで、先ずはご飯を炊いたのだ。しかし炊き立てのご飯とくれば、卵かけご飯TKGしかあるまい。黄身だけに分けた卵に自家製出汁醤油を混ぜて、炊き立ての麦飯にかけて食べる。美味い。間違いない。麦飯は120gくらいが卵黄ひとつぶんとちょうど良い。それからジャガイモの味噌汁を作って、お椀半分。結構食べられるようになった。いいぞ。え?アメリカの生卵って大丈夫なのか?と思う向きもあるだろうけれど、たぶん大丈夫。20年以上アメリカで生卵を食べているけれど、経験上小当たりが2回くらいだ。ちょっとお腹を壊すくらい。が、しかし心配は、胃を半分切ってしまっているので、胃酸の分泌が弱めであろうことで、もしかして食中毒になりやすい胃腸を持つ人造人間になってしまっている可能性もある。と食べてから気づいた。やはり避けるべきだったかもしれない。生卵の食中毒は、ほぼサルモネラ菌によるはずで、潜伏期間は12時間とも言われているから、夜中過ぎまでは油断はならない。たぶん大丈夫だと思うけど。

外のギラギラと暑そうな天気を横目に、涼しい部屋で昼寝する。

夕食は、セロリとニンジンとキャベツの野菜スープ、レタスとキュウリとプチトマトの野菜サラダにジンジャードレッシング、アスパラガスのゴマ和え、タマゴサンドイッチ。キッチンでの作業も、3、40分程度の立ち仕事が大丈夫になった。退院してきた当初は10分立ってるのがやっとで、すぐ座りたくなったくらいだったから、着実に体力は回復している。いいぞ。

家人はサラダもゴマ和えも食べたけれど、自分用にはパン一枚ぶんにタマゴと、スープを3/4カップくらい食べた。他に冷たい冷たいアイスティー。もう少し胃に入りそうだったけれど、空腹なわけでもないので止めておいた。

そういえば昼間体重を測ったら、手術前より5%、4キロ減。BMIが24。手術前に散々飲み食いして、ある意味恣意的に体重を増やしたぶんが術後3週間で落ちた。医者やものの本によれば、食道癌や胃癌の切除手術後は平均して、10キロ程度の体重減が見られるというから、まぁ想定内。腸瘻でのカロリー補給がメインのうちはあまり減らないはずで、これが外れて全て口からの食事になってからが勝負だろう。

20:50 何処かで花火が始まった。例年のことだけれどウチの窓からは見えない。音だけを聞いていたら家人がNational Mallの花火のライブ中継を見つけてきた。観るとはなしに観る。日本の技巧を凝らした花火とは比べ物にならないくらい大したことが無いのだが、これも縁起物だ。

23:00 昼寝したので眠くない。腹の具合もどうやら大丈夫そうだ。たぶん。