閉じていく世界
新型コロナウイルスの影響で、いつも行くプールが遂に閉鎖になってしまった。運動するとなると、もう散歩に行くくらいしかない。(あっ、家の掃除をするという手もありだ。外出しないし他人様と接触が無いので、このご時世に打ってつけだ。関連株を拾うなら今だ。けど建てる玉がない。)
とぼとぼと歩いていると、人々はすれ違う距離感も気にして開けるくらい神経質になっているのがわかる。笑顔であったとしても。
一緒に散歩している犬たちでさえもが、変わらない世界を生きているようで、確実に何かを察しているようではある。
今日またスーパーを覗いてみたら、パンや卵やパスタや牛乳そして缶詰めなどが品薄だった。あとは小麦粉。
パスタが無かったら製麺すれば良いじゃない?ってネタにしようと思ってたのに、皆んな同じことを思いついたのだろうか。
レジでのタッチパネルや、サインするペンを触るのにも、皆んな素手を避けている。
かかりつけ医に行ったら、受付で門番みたいに怖い顔のひとが尋問をしていた。2週間以内に外国に居たか?咳や熱は無いか?新型コロナウイルス感染者と接触の可能性は無かったか?そうだと言ったらPCR検査でもされるのだろうか。
少しばかりの香味野菜を育てるために、プランターと土を買いにホームセンターのような店に行ったら、苗木や蕾の鉢植えばかりが沢山並んでいて、閑散としていた。人々はすっかり出歩くのを止してしまったようだ。春なのに。
市内の飲食店では、店内での飲食が禁止となり、「持ち帰りのみ」という政令が出た。潰れる店も出てくるだろうし、チップで暮らす人々は途方に暮れるだろう。
すこし前には、トランプ大統領はメキシコ国境沿いに壁を張り巡らせるとブチ上げていたし、ヨーロッパは北アフリカからの大量の難民に悲鳴を上げて締め出し始め、大英帝国はEUからの離脱を決めた。
嗚呼、世界はこのまま静かに国境を閉じていくのだろうか、と思ったものだけれど、まさか21世紀になってひとつの疫病が、いま何よりも強い威力で国境を閉じて人の移動を制限しだすとは想像したこともなかった。
いつかこの疫病が収束をみたとして、前のようにまた広く国境が開いていくわけでもないだろうと思う。われわれは安全な場所から理想を語りたかっただけなのだ。
2001年の9/11 マンハッタンのワールドトレードセンターとワシントンDCのペンタゴンに旅客機が突っ込んだあと、しばらくの間アメリカ上空は飛行禁止になった。界隈には国際空港だけで3つもあるのに、いっさいの飛行機が飛んでおらず、一片の飛行機雲も見なかった記憶が確かにある。
鳥だけがまばらに飛んでいた。
いまこの新型コロナウイルスの影響で、多くの航空会社は経営破綻の危機にあるという。価格しか競争力を持たない業界であれば、体力のない会社は実際いくつかは潰れるが経営統合していくことになるだろう。
飛行機がまた飛ばなくなるのだ。
私たちはいったいこれからどうなっていくんだろう。とボンヤリ考える。
隣人も皆んな息を潜めて毎日をやり過ごしている気配だけがする。