断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

国語の教科書の思い出と不幸の手紙

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今時の国語の教科書は、大判でカラフルなんですね。

幼稚園から小学校へ、そして中学校へ通い、それから何となく高校へ潜り込み…毎年変化するカンキョーに、春はなかなかキンチョーする季節でもありました。昔はどうやって新しい友達を作ったんだっけな…などと、陽の角度は上がっていくのに、この薄ら寒い季節が来ると、昔の話なのに、なんだか薄ぼんやり思ってしまうのは、桜の花粉に含まれるヨロシクナイ麻薬成分とはたぶん関係がないと思いますが。

長い話を短くすると、新年度に教科書を貰いますよね。中学までは無償で、高校の教科書も、それほど高価だった記憶は無いんですが、自分が払ったわけではないので、なんとも言えません。教科書だけではなく、体操着や制服なんかも買うわけで、裕福な家ではなかったウチの親にとっては、それなりの出費だったとは思います。

勉強が好きでも出来るわけでも無かったけど、わりと楽しみにしていたのは、国語の教科書でした。読むんですよ。読書するのです。(買って)貰ったその日から2、3日で殆ど読破しちゃう。本を読むのが好きだったので。小学校から高校3年生の教科書まで、これはこんな薄ら寒い季節の楽しみでした。

教科書で読んで面白かった作者の文庫本などを探して買って読んだりしました。今思えば図書館で借りて読めばいいのになぜそうしなかったのかは謎です。買って読んで本棚に増えていく本が嬉しかったのかな、きっと。魯迅の「故郷」なんか、中学の頃に読んでも面白かったけれど、大人になって読み返すとまたしみじみと思うところがあって、本を買い直しましたからね。いちばん好きだったのは、阿部昭の「未成年」の一部と、と梶井基次郎の「城のある町にて」の一部です。私小説と分類されるものでしょうか。内向的なヤングだった私の心に、刺さるものが沢山あったように思います。この2人の小説は、大人になってからも本を探してよく読みました。アメリカに引っ越す時に処分してしまったと思うのですが。

すっかり読んでしまってたからかどうか、国語の授業は基本的に退屈でした。つまらないと思って読み飛ばした評論文や古文漢文はもとより退屈過ぎ、国語の授業中は、内職するかボンヤリしてるか、筆者の顔写真に落書きするか、そんなんでした。

けれど、さして勉強もしなかったのに、国語の試験の成績だけは悪くなかったんですよねぇ。

読むだけでなく、書くこともしてたからかも知れません。

小学校の4年生か5年生くらいの時に、某学習雑誌の文通(って若い人たちは知らないかも?)募集欄に、載ってしまったんですよ。小学生の住所が雑誌に載るってまーそういう時代だったというのはさておき。

そしたらドンドコドンドコ手紙やはがきが毎日届くんですよ、全国の小学生から。多い日で10通以上は届いたのかな。面白そうな人には返事を書いたけど、もうそんなにたくさんの人に手紙は書けないから、断りの返事を書いたり、返事しなかったりでした。返事しなかった人御免なさい。続いた人とは、1年以上は手紙をやり取りしてたと思います。もう名前もよく覚えてませんが。長い話を短くすると、自発的に「書く」という作業もやっていたということで、これも国語の成績が悪く無かった理由のひとつかも知れません。

さて、「不幸の手紙」。ご存知ないかたはネットで調べると色々出て来ると思いますので、詳細は書きませんが、イタズラ愉快犯の類いですね。ネットの時代になっても迷惑メールのブロック機能なんかが緩かった頃は「チェーンメール」や「幸福のメール」なんてものがよく届いたものですが、あれの原型と言ってもいいのではないでしょうか。

「この内容の手紙(多くはハガキでしたが)を、〇〇日以内に〇人の人間に送らないと、あなたは〇年後に死にます。」という内容と、10人分くらいの住所が並べて書いてあって、1枚書いたら1番端の人をリストから外して、自分で探してきた誰かの名前と住所を書き加えたハガキを〇〇人に〇〇日以内に送る、といったものです。

こういう類いの手紙またはハガキが、5、6通は届いたのかな。大概エンピツ書きの小学生の筆跡で。今思うと悲しいですねああいうのは。小学生がたぶん怯えて、不幸の手紙を何枚も必死で手書きで書くんですよ。悲しいぢゃないですか。

当時の私も小学生ですので、驚いたし気味が悪いし死ぬのは嫌だし、親に相談したところ、そんなものは嘘に決まってるので燃やしてしまえということで、家の外で燃やしましたよ。やーひょっとして〇〇年後に死なないよなぁ?と、少し不安には思いながら。真っ当な親で良かったです。

「〇〇年」にはヴァリエーションがありましたが、10年以上長い年月のものは無かったと思うし、今こうして生きているので、やっぱりアレはガセだった(当たり前だけど)しみじみ思うのですよ。

今はパソコンでビャーっと文字を打てるし、コピペも出来るし、メールで一斉送信も出来るわけで、ああいう不幸の(または幸福の?)手紙なんてのは怖さも有り難さも薄いですよね。限りなく薄い。逆に今どき手書きのエンピツガキでそんな手紙が届いたら、ちょっと警察に相談しようかって思うくらい怖いですよね。絶対怖いですよね。

国語の教科書を見て思い出した事でした。

今回は纏まらず終わります。サンキュー