断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

ヤクルト増量☆大作戦★

おっさん、左ひざが右の2倍くらいに腫れ上がって、歩くのも苦痛になった。けど治った。ステロイドは効きますね。怖い薬ですよ。もぅこれは間違いなく痛風なんだろうなぁ、と覚悟してファミリー・ドクターに行くと「たぶんね。」で。ステロイドの処方箋をくれました。3日後に整形外科の予約が取れたので、診てもらうと「違うんじゃない?」と。まぁ、治ったので、いいんですけど。おっさんにはなりたくないですね。

 

さて。

 

保育所に落ちて日本死ね、というブログが話題になりましたよね。詳しい事情は分かりませんが、子供が預けられないと困るのでしょう。お気の毒だとおもいます。日本の少子化も、宜なるかな、という感じです。「日本死ね」を、額面どおり読んでしまい「嫌なら出て行け」みたいな読解力の無い某区議会議員さんもいらっしゃるようですが、それは違うでしょう。絶望と失望の吐露なんですよ、「日本死ね」は。そういう声に耳を傾けてこその議員さんでしょうにね。あいや私はもう日本出て行ってますんで、いいですよ、あんた出て行け言わなくても。お世話様です。

 それはさておき。

私は小学校に上がる1年前に「幼稚園」には通いましたが、保育所には行ってません。3つ下の弟も居たし、記憶では母親がずっと家に居たとおもいます。ご苦労様です。後に私が小学校に上がり、弟が5つくらいになって保育所に入り、母親が働きに出たはずです。ご苦労様です。小学校3年くらいの子供が、5歳くらいの弟を迎えに行ったりもしてましたよ。田舎の近所の保育園とはいえ、管理がゆるいというか大らかと言うか、今では子供が子供を迎えに行くなんて、とんでもないことでしょうね。

それはさておき。

幼稚園でのことはあまり覚えていません。もう40年以上前の事ですからね。田んぼの中にぽつんと在ったような気がします。スモッグを着て、黄色い肩がけカバンに弁当を持って、家の近くの集合場所からバスに乗って30分くらいの所でした。港と港をつなぐ運河があって、いつも何かしら不快な臭いがしていました。母親が持たせてくれる弁当は、骨付きのアジのフライが入っていたり、6歳児には容赦の無いものだったと記憶しています。「すみれ組」で絵を描いたり、砂場で遊んだり、歌をうたったり、スキップして過ごしていたように覚えています。わたくしは比較的「人見知り」する質で、「すみれ組」で誰と仲良くするでもなく、おとなしく過ごしていたと思います。一言で言うと、あまり面白い場所ではありませんでした。

楽しみが2つあって、ひとつは毎月もらえる薄い雑誌のような、本で、これには子供にも分かりやすい面白い漫画が書いてありました。例えば「3時」になるとおやつが出てくる時計に、男の子が一計を案じて、毎時間「3時に」なるように細工をして毎時間おやつを手に入れる、といったような話です。

もうひとつは、弁当の時間になると配られる乳酸菌飲料でした。最近になって調べて、時代と地域と瓶の形状や紙蓋の記憶から、ほぼ「雪印スノーラック」だったのだろうという結論に達しました。木箱に入って汗をかいた瓶の中の、ベージュ色の液体は、甘くて酸っぱくて大好きな味でした。当時は「紙蓋」の時代で、これを上手く開けられずに、順番に並んで保育士のお姉さんに開けてもらう連中が多数派の中、私はこういうことは何故か器用で、爪先でひょいと上手く開けて得意になってたりしていた記憶があります。ともあれ「スノーラック」は家では与えられたこともなく、美味しく珍しい楽しみな「幼稚園の味」でした。

家で「雪印」の牛乳は取っていましたが、まさに牛乳だけで、ああいう甘酸っぱい「乳酸飲料」(雪印であれば「ジョア」)は、決して取ってはもらえませんでした。極偶に、年に一度か稀に、サービスなのかプロモーションなのか、「ジョア」が配達されることがあり、それは大事に味わって飲んだものでした。それから風邪をこじらせて病院に行った時なども、買い与えてもらえることもありました。いづれにせよ乳酸飲料は「とくべつな飲み物」だったのです。「オレンジ」味と「レモン」味が好きでした。

 

 前置きが長くなりました。

「ヤクルト増量☆大作戦★」です。

ヤクルトもまた甘酸っぱい乳酸飲料の代表ですよね。すっかりおっさんにになった今は、「ジョア」なども含めて、見かければ「懐かしい」感じはするものの、乳酸発酵した飲み物よりもアルコール発酵した飲み物のほうに自ずと手が伸びるものであります。

 

 

 

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ヤクルト様御近影

 

ヤクルトはアメリカでも頑張っており、カリフォーニアに現地法人を置いて、販路の開拓と、ラクトバチルス・カゼイ・シロタ株の普及に余念が無いようです。少子高齢化(ここに帰ってくるか)の日本では、どんな産業も先細りであるのは自明の理ですので、打って出るか座して衰退に甘んじるか、ふたつにひとつなのであります。わたくしは日本に住んでいないし、心配する子供も居ないので知ったことではありませんが。(失敬)

 

それはさておき。

ふだんは飲まないヤクルト。

けれど先日偶々韓国系スーパーで売られているのを見つけて、ひょいと買ってみた。最近は味噌を仕込んだり、ヨーグルトメーカーでヨーグルトを作ったり、何やら「発酵食品」に引きつけられているからかもしれません。腸は大事ですね。職場のそう歳の違わない人が、大きな大腸のポリープが幾つも見つかって(以下略)。

 

それはさておき。

ヤクルトって少ないじゃないですか。あの容器に80ml.ぽっちですよ。小学6年の時に、東京の叔父さん(このヒト凄い変な人なんですが、数あるエピソードはまたののうちに・・・)のところに遊びに行った時に、「サウナ」に連れて行ってもらったんですよ。小学6年生にサウナも何も無いじゃないか、と今は思うんですが、1980年頃には「流行り」だったんでしょうかね。良く分かりませんが、変人の叔父さん、当時から奇妙なサプリだの何だの健康極まりない小学生にグイグイ勧めて来るほどの健康オタクで、「もう健康のためなら死んでもいい!」くらいに前のめりに生きてます。その効果あってかどうか、今でもえらい元気です。65歳くらいかなぁ、今。

そのサウナでですよ。上がった後、椅子でゆっくりしようということで、店の人が何か飲み物は?みたいに注文を取りに来てくれたんですよ。

「ヤクルト2本!」

叔父さん躊躇無く注文してました。

この叔父さん、お酒が飲めない人でしたしね。

いや別にベール飲まなくてもいいけど、サウナ上がりに「ヤクルト2本」てのはレアなんじゃないかなぁ。でもその注文は普通に通ってたから、あんがい居るのかな、サウナ上がりにヤクルトを飲む人って。

いかんいかん。

また話が逸れた。

あと小学校の夏休みの工作で、毎年毎年、毎年毎年、ヤクルトの空き容器で力作を作ってた奴の想いでとかも有るんですが、興味ないですよね?

ですね。

ではいよいよ本題。

 

 

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はい。

材料これだけです。

ヤクルト1本。リンゴ1個(摩り下ろし果汁だけ絞って使う)。砂糖。そして脱脂粉乳。

リンゴ果汁に水を足して、温めて砂糖と脱脂粉乳を混ぜ、発酵に適した温度に調節してからヤクルトを足して、保温容器で適当な時間発酵させるだけです。

 

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詳細はこちら ヤクルトの作り方(男の趣肴HP)fr を参考にさせていただきました。

 

 

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ほい。

発酵が終わったのを冷蔵庫で冷やして完成です。

見た目もヤクルトそのもの。匂いもヤクルト。

お味は、ヤクルトとは言えずとも、乳酸菌飲料です。オリジナルと比べると甘めで酸味が少なめでした。これは砂糖の量と発酵の時間で調節できるんじゃないでしょうか。

 

や、さてとグビっと飲んでからですね、朝、ハタと気付いたんですが、わたくしおっさんになった今、別にヤクルト好きじゃなかった。懐かしさだけだった。

けれども気が済みました。