当たるも中らぬも明日は分からん
日本では総理大臣の訪米がどこもトップ扱いのようだけれど、地元Washington Post紙では小さな扱い。訪米した総理大臣は、アーリントン墓地には献花に行くけど、ホワイトハウスでの晩餐会は無し。で、昼食でハンバーガーときた。そんなもんですよ。日本の扱いは正味の話。バイデンが訪日したら、昼食に天ぷら蕎麦だな。あれは日本の美味い庶民の味。牛丼も良いな。
それはさておき。
で。今朝のWashington Post紙の一面は何かというと、mass shooting 最近また全米でボチボチ増えて来た銃乱射事件の記事。
おお結構アチコチであるなぁ、という印象。元職場に恨みを持って、みたいなのが多い。学校での銃乱射事件も、似たような動機のが多い。動機を知ったところで防げるわけでも無いけれど、おおかたの人類は、高度な社会を形成する、という方面に全振りするという生存戦略なので、そこで必ず出る不都合や不条理を喰らってしまって、辛抱堪らんと所属元を攻撃破壊する願望というのは分からないでもない。悲しいかな被害に遭うのは同じように苦しみや納得のいかなさを共有して来た人々だったりする。
そう言えばウチの職場にもヤバい奴が居るんだけど、奴をクビにするのにはよほど心してやらないとマズイ気がする。弁護士を使って訴えられて、ナンボかの和解金を支払うくらいのほうが、人命に比べたら断然安く済むと思う。アメリカってそういう所だ。知らんけど。
それはさておき。
人というか自分だけど、愚かなもので、そういう銃乱射事件はあちこちで起こっておるにも関わらず、なんとなくああまたか、くらいで慣れっこになってしまい、自分は巻き込まれないような気がしている。明日は分からんのに。
他方、途方もない確率、文学的に表現すれば確率ゼロ、の宝くじには、当たるかも?と思ってついつい小銭を注ぎ込んでしまう。いや明日は分からんぞ。と。
でもまぁ良いんじゃないだろうか。
銃で撃たれてしまう確率の方が高いと考えて恐々と暮らすのも、宝くじ今度は当たる気がするとワクワクして暮らすのと、どっちも同じ時間が流れる。
明日は分からん。
アメリカハナズオウ又はOklahoma Red Bud.