断・胃食道亭日乗。旧「宇宙日記。宇宙にはぜんぶある。」

(消防署のほうから来ました。) 食道胃接合部癌→術後肝転移(Stage IV)のヲッさんの暮らし。

有難いけれどそんなに食べられないので

胃が1/3になった(と思う)ので、量が食べられない。少量ずつ1日に5、6回に分けて食べて、必要なエネルギーを摂るように医者や指南書は言う。異論はない。しばらく経てば、普通の一食くらいは食べられるようになるらしい。希望はある。その予感もある。焦らずに行こう。野球で言えばまだ一回の裏だ。知らんけど。

職場では独りで居る事が殆どなので、隙を見計らってこれ幸いと早弁、もとい昼食は早めと遅めので2回に分けて食べる作戦に出た。のが今日は裏目に出た。早弁の部分を食べてお腹を摩っているときに、差し入れを頂いたのだ。賄いとはいえプロの仕事だ。いや。賄いにこそプロの仕事が宿る。お金を取る仕事は、決まった質と量と時間を着地点に計画的に仕込まれる。個人の裁量の幅は狭く、再現性が高く出来上がったモノのクオリティは均質だ。他方賄いはアドリブの度合いと個人の気分と技量が幅を効かせる。再現性は低い。本当に美味いものを食べたかったら、プロの賄いを食べるチャンスを拾う事だ。運が要るけど。それはさておき。

f:id:dv6:20200730100132j:image

ラム肉のカレーだという。ラムのクセのある匂いとスパイスの香りが混じって、実に美味そうだ。けれどこれは食べられない。お腹がいっぱいだ。無念。明日にでも頂くことにして、冷ましてから職場の冷蔵庫に仕舞った。

裕福どころかどちらかと言えば経済的には余裕のない家で育った。両親が運良く元気で働いてくれたお陰で毎日お腹いっぱい食べられたし、子供のいない母方の伯母たちの援助も厚かった。学校給食も幸い好き嫌い無くたくさん食べた。牛乳は最高で一回に11本(2.2リットル)飲んだ。中学3年の頃だったと思う。バカ中学生だ。お陰で身体は大きくなり、20代から30代の頃の肉体労働に耐えられた。

思うに子供の頃から不思議に食べ物に困った事がない。家をでて東京に独りで暮らし始めた時も、スーツケースひとつでアメリカに移民したときも、お金が十分にあったはずがないのに、食べるに事欠いたとかお腹が空いて困ったという記憶がない。誰かがご馳走してくれたり、食事に招いてくれたり、飲食店で働いたり、とどめはタダで居候させてくれたりと、どうもなんだか食べるには困らない星の下に生まれて来たような気がする。占いには明るくないけれど、「食神」という星回りがあるそうだ。読んで字の如くの意味かどうかは知らない。自分がそういう星回りなのかどうかも知らない。とまれ事実としてもうたくさんは食べられないし、食べ物を無駄にしてしまうのは勿体無いので、せっかく(たぶん)生き延びた残りの人生を、この辺の効率化というか、食べるのに困っている人々に過不足無く回るようにするのが(たぶん)命拾いした意味なのかも知れない。さてどうすれば良いのか、さっぱり見当もつかないけれど。