宇宙日記

宇宙にはぜんぶある。(消防署のほうから来ました。)

老人とヤングのあいだ

  

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今住んでるアパートには、独居老人が多い。大概にして品が良くて、静かでよい。

ひとり同じ階に住んでる車椅子の男性老人は、ちょっと面倒。こちらが出勤前で急いでいようが、生鮮食料品を抱えた買い物帰りだろうが、、とにかく見かけると話しかけてきて、話をやめないのです。わたくしが日本人だと分かると、片言の日本語をひねり出し、「兄が昔、朝鮮戦争で日本に立ち寄ったときの話」というのを始める。最初はふんふんと流して聞いていたのだけど、モノローグなんですよ。会話しようとしていない。一方的に話すだけだということに気づいてからは、なるべく顔を合わせないように、見つかっても急いでいる事にして、あいさつ程度でやり過ごすことにしています。

けど、エレベーターで居合わせてしまうとか、メールボックスをチェックしてる時に、出口側を車椅子でブロックされてしまうと、これ逃げようも無いんですよね。先日は、大統領選の投票所で、朝6時に鉢合わせしてしまい、長い投票を待つ列で、観念したのだけれど、小さい町だから彼の顔見知りも多く居て、(朝6時ですけどね)あまり絡まれずに済んだということもありました。

さて、先日はそれで、運悪くエレベーターでつかまり、お前に是非見せたいものがあるからちょっと待っててくれ、と言うんですね。まーご近所さんだし、たまには付き合うかなー、と待ちましたよ。

持ってきたのが富士山登山記念の杖。五合目六合目とか焼き印が押してある。あー何か昔これ買ったような気がするなー。

年号や日付は分からなかったけど、使用感のある杖で、車椅子老人曰く、兄の形見だという。老人自身は日本に行ったことがなく、兄が話す極東の国の話をいつも面白く聞いていたとのことです。

そうか。

何だか、突然しんみりしちゃいましてですね。

車椅子老人の家族構成は知る由もありませんが、このアパートに独居なのは間違いないし、誰かが訪ねてきてるようでもないし、車で出かけるのも見たことないので、天涯孤独、車椅子でこのアパート回りが彼の生活範囲と考えるのが自然でしょうか。

兄の形見の富士山登山の杖と、アパートに住んでる日本人。勝手な想像だけれど、そのふたつが揃ったときに車椅子老人は、代り映えのしない狭い範囲の日常が、少し楽しくなったのかも知れません。そうではないかも知れないけれど、杖の話を日本人にしたくなった。昔の兄の日本の話をまた思い出して。

Oh, これは本物の富士山登山の杖ですねぇ。私も何十年も前に、小学生の頃いちどだけ、途中まで登ったことがありますよ。ビューティホーで、inspiring な山でありますよ。と感想を述べましたよ。

車椅子老人は、満足したようで、長話もせずに部屋に戻って行き、わたくしは麻婆豆腐を作りながら、しばしつらつらと考えを巡らせましたですね。

いま老人とヤングのあいだの私。も、生きながらえれば、昔はヤングだった、記憶や思い出を反芻しながら暮らす、老人になるのでしょう。そのときの楽しみ、というか、日々思いめぐらす事は、元気で可能性があって、周りに人々が居た、昔のこと、になるのでしょう。健康を害していたり、体が不自由であっては、春に庭を作ろうとか、犬や猫の世話をしようとか、キッチンをリモデルしようとか、わたくしは思わないだろうとおもうわけです。そして預金口座の残高と自分の寿命とをカウント・ダウンしていく毎日のなかで、昔の思い出をチラリと輝かせるような小さな出来事 --- たとえば棲んでるアパートに、むかし旅行した国出身の住人が越してくる --- に、心が少し踊るかも知れないのです。ということ程度には想像がきくようになったなぁ、としみじみと思いました。